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2013/03/10

極私的京阪テレビカー

 初めて見たのは小学校低学年、伏見稲荷に行った時のこと。急行で辿り着いて乗り換え待ちの淀での話。緑ベースの電車の中に、ひときわ目立つ赤とオレンジのツートンカラー。側面にも回り込んだ大きな前面窓。そして、両翼を大きく広げた、円形ではない鳩のシンボルマーク。一番身近な南海本線は当時どれも緑ベースの塗装で、すべて円形のシンボルマーク。伏見稲荷で食べたすずめの丸焼きとともに、場所が違えば何でも違うと、相当なインパクトがありました子供心にカッコイイ!と思ったのを覚えています。

Tawata

 月日は流れて就職。会社は淀屋橋にあったので、同期に京阪沿線在住者が多く、遊びに行ったり、また仕事でも、京阪電車を利用する機会が増えました。

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 地下の淀屋橋から京阪特急に乗ると、地上に出るのがここ。この瞬間が結構楽しみです。右手に一瞬大阪城、すぐ左手には大川の流れ。細めの規則正しく並んだ窓から眺める、自宅近所では見ないきれいな光景に、和んだものです。

Hashimoto

 そして…昔仲良くしていたコが京都のコ。休日、四条あたりで遊んだ帰り、出町柳の駅。相手とはこの駅でさようなら。入ってくる電車は8000系も居ましたが、なぜか3000系のことが多かったです。着いた電車は車内整理のため、扉を閉めてちょっと移動。ゴン、ゴンゴン…という音とともに座席が転換してドアが開くと、よく2人して乗り込み出発までしばらく話したのを思い出します。

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 人それぞれ、楽しかったり、嬉しかったり、辛かったり。思い出はいろいろあるかと思いますが、その思い出のひとコマに、電車が登場するってこと、多いと思います。女性はとくにそういう人、多いみたいですね。結構こまかいことまで覚えてる(笑)

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 そして、長く活躍した電車ほど記憶や思い出の中に出てくる人って多くなりますよね。41年の長きにわたり活躍し、しかも華のある特急車両ということであれば尚更でしょう生活圏でない所を走ってる…という僕ですら、いくつかの思い出に出てくるわけですから、沿線にお住まいの多く方の記憶に残ることでしょう。

Senryomatsu

 また今回、この電車の引退にあたって、鳩のマークを復元したり、車号を元に戻したりと、会社側の配慮が大きかったのも他とは大きく異なる点でした。イベント集客の一環と言ってしまえばそれまでですが、通常はなかなかあそこまでの復元はしないもんですし、そこには、この電車が会社のフラッグシップ的役割を果たしたことへの、会社側の労りの意が少なからずあったのだと思っています。あと、本社の偉いさんに「好きな人」が居たのも、大きかったんでしょうね偉いさんもヒラの人も深い思い入れがある、そんな電車だったのでしょう。

Kyobashi

 本日、通常運行を終了。イベントであと4日走るようですが、いつもの3000系とダブルデッカーは今日までです。同い年(笑)ということで、その意味でも何だか引退は複雑な思いなのですが、これからも多くの人の思い出の中で走り続けることでしょう。

Tenma

 41年間、本当にお疲れさまでした。

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